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74歳の時(2011年)「難聴者及び中途失聴者のための手話講習会」に参加して、初めて手話を学びました。
 高齢のため果たして覚えられるだろうかと不安でしたが、案の定遅々として進歩せず今に至ってます。そんな手話初心者の手話に関する感想です。
 まぁ、余命いくばくもない年寄りの戯言とお聞き流しください。。

Cohohの手話雑感

2019.5.26

/目/高い/

最近、NHKの手話ニュースを録画してできるだけ見るようにしている。と言っても手話ニュースが読み取れるわけではない。とにかくすごく速いのだ。でも聾者にとってはこれが普通なのだろう。聾者と交流するにはこの速さに少しでも慣れなけれ ばと思って見ているのだが、実はその望みはもはや無理な注文だと半ば諦めているところでもある。
 2、3日前から連日真夏のような暑さで30度を超えている日が続いている。ニュースでもその話題が度々出てくる。こうした天気に関するニュースは、政治的な話題などと違って画面右端に出る字幕を隠して見ていてもなんとなく分かる。ある日「熱中症」の手話が出てきた。最初に見たとき/中/病気/と見えた。それでも文脈から「熱中症」と読み取れたが、「熱い」とか「暑い」の表現は要らないのだろうかと思いながら、繰り返し再生して見たら・・あった! /中/の表現に入る一瞬前に/熱い/の表現が入っていた。時間にしたら0.1秒あるいはもっと短いかもしれない。繰り返し再生したから分かったので、一回ではまず見落としてしまうこと間違いない。しかし聾者はそれを読み取れる視力を持っている。いわゆる/目/高い/のである。
私ももっと若い時から手話を学んでいたら、少しは視覚を磨けたかとも思うが、あらゆる感覚が鈍ってくるこの歳ではもう無理である。
別の日、別のキャスターが表現した「熱中症」は、ほんの少しゆっくりで/熱い/を両手で表現していたので、これは読めた。
話はちょっとそれるが、「熱中症」は、2012年に日本手話研究所で新しい手話を作っている。しかし私はまだその手話表現を見たことがない。


2019.5.4

令和の手話表現その2

5月1日に令和の手話表現について感んじたことを述べましたが、今日、更新のたびに購読している「日本手話を楽しもう」のブログで「令和」の手話に関する記事を見ました。いつもながら楽しいブログで勉強になります。
 1日の10時半すぎに新元号「令和」が発表されてから、2日の「令和」の創作手話が発表されるまでの間、YouTube上では聾者の投稿者たちがそれぞれ自分の考える「令和」の手話表現を試みていました。やはり多かったのは指文字の/レ/を使った手話が多かったように思う。
 新しい言葉でも、専門的な用語はともかく今後日常で頻繁に使われるようなものの手話表現は、聾者が使いやすい表現を色々使っていくうちに淘汰されて定まっていくのがいいのではないかと思う。「令和」にしても聾者はいろいろ考えて表現している。1日で早急に決めてしまう必要があるのだろうか・・。


2019.5.3

手話言語条例はどうなった?

先日、cohohが住んでいる市の5月号の「市民だより」と「市議会だより」が一緒に配布されてきた。
 実は、当市では3月に「手話言語条例」が成立し、4月1日から施行されることになっていたので、何かそれに関する記事が掲載されてないか探してみたが、「市民だより」は4、5月とも「手話言語条例」に関する記事は皆無。「市議会だより」には3月の定例市議会で可決された多くの条例の一部が載っていたが、手話言語条例については掲載されていませんでした。
 手話に関する市当局の関心の度合いがわかるような気がする。 と言っても、これは今始まったことではなく、条例案のパブリックコメント募集に際しても条例案やパブリックコメントの募集に関する記事について手話翻訳なされてなかったのだから、この体質はただ変わっていないというだけなのでしょう。


2019.5.1

令和の手話表現

今日から元号が「令和」に変わりました。
 令和の由来に関して様々なメディアで説明されているのをみて、意味も言葉の響きもいいし、漢字も易しいし悪くはないと思いました。
 さて、それでは「令和」の手話はどうでしょうか? 4月1日に発表され2日には京都の日本手話研究所で早速創作されました。右手の指をすぼめ右胸からゆっくり開きながら前に出すという。これは令和を万葉集から取ったという由来に基づいているらしい。
 明治、大正、昭和、平成の手話は勿論今回のような新しい創作手話ではなく、それらの時代を生きた聾者の間で自然と生まれてきたのでだと思う。従ってその時代や時の天皇の特徴を表したり漢字に基づいた手話表現、つまり直接的・視覚的な表現になっている。それに比べて今回の令和の創作手話は由来にまで遡って考えられたもので、ちょっと理屈っぽい気がしないでもない。ですが日本手話研究所では誰でも使え、読み取れる標準の手話表現を作ろうとしているので、これも有りかとも思うが・・・。
 しかし、ただひとつだけどうしても気になるのは、ゆっくり花が開くように前へ出せということです。手話表現(手話単語)で速くとかゆっくりとか「動きの速度」がその手話単語の要素(音声言語でいう音韻)になるのだろうかということです? 手話を母語としない私にはよくわかりませんが、手話言語を研究されている方の著書などによると、手話表現の要素は「手の形」「位置」「動き」「手のひらの向き」であって、「速さ」は要素とは考えてないようです。手話表現での動きの「速さ」は、単語の意味を表す要素ではなく、むしろ副詞的な意味を表現するものと私は理解していましたが、「速さ」も「動き」の中に含まれるのでしょうか。その辺がどうもよくわからない。
 今後、もし多くの聾者や通訳の方がこの令和の手話表現を使っていならば、このゆっくりという「速さ」はあまり問題にならなくなるような気がします。