フラ・アンジェリコ
 Fra Angelico

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〜〜アーチスト〜〜

フラ・アンジェリコ Fra Angelico (1400年頃~1455年)

 1400年頃フィレンツェの郊外で生まれ、1420年前後にドメニコ修道会の修道士となり、画家としての活動も認められます。初期の作品はビザンチン様式を残しながらもマザッチョの影響を受け、生き生きとした人物表現や遠近法の採用など、ルネッサンス絵画の特徴を示しています。
 1436年改築中のサン・マルコ修道院に移り、一連の壁画を制作します。1445年法王ニコラウス5世に招かれローマに行きニッコリーナ礼拝堂の一連の壁画を描いています。晩年はローマのサンタ・マリア・ソーブラ・ミネルバ修道院で過ごし、そこで生涯を終えました。フラ・アンジェリコ(天使のような修道士)という名は、彼の死後そう呼ばれるようになったものですが、その名にふさわしい敬虔なキリスト教徒としての生活に徹していました。


受胎告知

受胎告知受胎告知

 フラ・アンジェリコと言うと、どうしても「受胎告知」を思い浮かべるくらい、たくさんの作品を残しています。左図(1430〜32年 154×194cm)はプラド美術館に、右図(1433〜34年 150×180cm)はコルトーナのジェス聖堂美術館にある「受胎告知」で、構図はよく似ています。左端に楽園追放の場面が描かれています。それは、祖先アダムとイヴが犯した人間の原罪を救うために救世主イエスを神が遣わしたのだということを意味しています。
 コルトーナの「受胎告知」は天使とマリアの言葉が金文字で書かれていますし、神のお告げを告げる厳粛な天使の視線と少し戸惑いながらもそれを受け入れるマリアの視線とが交差し、優雅な素晴らしい雰囲気を醸し出しています。初期ルネサンスの傑作ではないでしょうか。


サン・マルコ修道院

 サン・マルコ修道院は美術館になっており、アンジェリコのテンペラ画の他にフレスコの壁画があり、まさにフラ・アンジェリコの美術館といえます。
 そこにある2点の「受胎告知」と数点のよく知られている絵を見てみます。

受胎告知受胎告知  左図はサン・マルコ修道院の3室にあるフレスコ壁画です。1440〜41年の作といわれています。右図は階段の正面にあるフレスコ壁画で1442〜43年頃の作です。
 どちらも静謐な感じの「受胎告知」で、上の2作品のような「楽園追放」情景もなければ、一般的に受胎告知の小道具となっている純潔を象徴する白百合や精霊を表す鳩もなく、右図にはマリアが持つ書物(イザヤ書と言われている)さえ持っていません。極めて簡素な構図で宗教的な敬虔さを感じます。

 

サン・マルコ修道院のフレスコ画

 多数のサン・マルコ修道院のフレスコ壁画から2点だけ選びました。

ノリメタンゲレ聖母の戴冠  左図は、「我に触るるな」(1440−42年 166 x 125 cm)
 まだ完全に復活していない状態のイエスにマグダラのマリアが触れようとして「ノリ・メ・タンゲレ Noli me tangere 我にふれるな」と諌められる有名な場面。15世紀以後の宗教画でよく主題として取り上げられています。
 右図は「聖母の戴冠」(1440−42年 171×151cm)被昇天ののち,天国で戴冠される聖母マリアを表しています。聖母マリアに冠を授けるのはキリスト、神、聖三位一体などいろいろですが、ここではキリストが授けています。傍らには6人の聖人が描かれていますが、天使たちの聖歌隊に取り囲まれている構図もあります。

聖母の戴冠

 ルーヴル美術館にあるフラ・アンジェリコの同じ主題の作品(テンペラ画、1434−35年、213×211cm)はたくさんの天使や聖人に取り囲まれて、サン・マルコ修道院のに比べ実に賑やかです。またこの作品では、冠を授けているのは父なる神になります。
 以上「受胎告知」「我に触るるな」「聖母の戴冠」はルネサンス期を通じて多くの画家が描いており有名な作品もありますので、比較してみるとフラ・アンジェリコの絵の特色がよくわかると思います。