ドゥッチオ
(Ducci di Boninsegna)

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〜〜アーチスト〜〜

ドゥッチオ Duccio di Boninsegna (1255ころ~1318/9)
ドゥッチオの生年は、はっきりしません。生まれもシエナと言われていますがこれも・・? 
 代表作は何と言っても1308~11年に制作されたシエナ大聖堂の祭壇画「荘厳の聖母」。そしてウフィツィ美術館の「ルッチェライの聖母」でしょう。これら聖母像は優美で洗練され、豊かな色彩と緻密な細部描写などが見られます。シエナ派の隆盛をもたらし、まさにシエナ派の黄金時代を築きました。
 ドゥッチオを見るならシエナに行かなければ・・。ところが、そのシエナに行ったことがないので・・(。;_;。)。
 とりあえず、見たことのあるウフイッツィ美術館の「ルッチェライの聖母」から・・・。


「荘厳の聖母(ルッチェライの聖母)」

ルッチェライの荘厳の聖母

テンペラ画 429×290cm 1285年 ウフィツィ美術館 

ドゥッチオ代表作でフィレンツェのサンタ・マリア・ノヴェッラ聖堂にあった『ルチェライの聖母』と通称される『聖母子と六天使』です。しかし、この作品は15世紀頃からチマブエの作と考えられていました。確かに現在ルーブルにあるチマブエの「荘厳の聖母」とよく似ている点があります。比べてみてください。


シエナ大聖堂の「荘厳の聖母』

荘厳の聖母

 この祭壇画には下部にキリスト幼児伝を描いたプレッデラや上部の諸聖人などを描いた部分(ピナクル)、そして祭壇画の裏面にはキリストの受難の諸場面があったそうですが、現在はバラバラになって散在してしまったようです。それでも多くは、このシエナ大聖堂付属美術館にあるということです。全部そろったらすごく大きな祭壇画になりますね。それを美術史家が研究、調査しデジタル処理で再構成したのが左の祭壇画全体像(合成写真 by Lew Minter・・Web Gallery of Artより)です。   
 当時シエナはフィレンツェと争い、不利な状況にあったので、この祭壇画が完成した時シエナの住民は歓喜し、祭壇画がドゥチオの工房から大聖堂に運ばれる時には町中の人々が手に手にロウソクを持ち行列に参加して、終日祈りを捧げ、祭りが三日間も続いたといわれています。すごくドラマティックで、その時の情景を想像してみるのは楽しいです。
 もちろんこの壮大な祭壇画の表裏にある多数の作品はドゥッチオの工房で描かれたものであり、ドゥッチオ自身が筆をとったのは、中央の聖母子、その左右に並ぶ主な聖人、そして裏面「キリストの生涯」の何場面かぐらいではないでしょうか。
 その中で主な部分、cohohの好きな場面を何点かあげてみます。

聖母子 キリストの降誕 受胎告知

1、祭壇画の中心の聖母子と天使達です。
2、祭壇画の下部(プレッデラ)の左側にある「キリストの降誕」の場面です。
3、祭壇画の頂部左端にある「受胎告知」の場面です。

「キリストの受難伝」(部分)

祭壇画裏面” width=

祭壇画の裏面に書かれた「キリストの受難伝」26場面の内の五つです。左端の「キリストのエルサレム入城」中央下段には「最後の晩餐」などが見られます。聖書に忠実に描かれているこうした一連のパネルを見ることによって、当時の人々は聖書が読めなくても、その内容を知ることができたのでしょうね。